愛知県名古屋市千種区/公立
名古屋市立菊里高等学校 口コミ
- 総合評価
- 昭和の終わり、丁度バブル期に通っていました。戦前の名古屋第一高等女学校を母体として戦後に菊里高等学校となった、男女共学の公立高校で、それだからか女子の方が元気が良い、むしろ強い学校です。校舎は戦後GHQに使用されていた歴史ある建物で校風は自由闊達、教育方針も放任主義でしたが、普通科のレベルは割と高いです。名古屋大学へ進学する者が多い中、毎年十数名は東大や京大に合格、東京六大学への進学者も多いです。私が在学していた音楽科は1クラス40名、3年間メンバーが変わらないので、良くも悪くもかなり浮世離れした世界でしたが、東京藝大に4名合格、愛知芸大に約20名、桐朋学園大、国立音大、武蔵野音大(私の母校)、名古屋芸大などへ皆進学しました。
- 先生について
- 良くも悪くも全くの放任主義で、しょっぱなから入学式に列席していた先生方が10人も居なかったのにビックリしました。英語や数学、古典の先生方は割とクセの強い先生が多くて、公立で転勤もあるのによりによってどうして?と思うほど、個性的でした。放任主義といっても良い意味で信用されているという事で、それに甘えて怠けていると完全に置いていかれるというシビアな面もありました。
- 校則について
- 制服はありますが改造(当時はスカートを長めにするのがトレンド)しても何も言われず、靴下も靴も、カバンや冬のコートも全く自由で、みな色とりどりのモノを身につけていました。髪型にも決まりは無く、交換留学帰りの学生は派手にパーマをかけ化粧していましたし、それでもやる事をやれば何も言われていませんでした。
- 部活動について
- 私自身は帰宅部(ピアノの練習に時間を割かなければいけなかったので)でしたが、音楽科40名の中でもたまにモノ好きがいて、声楽専攻の2名が陸上部に入っていました。もっとも週1か2で、マイペースにゆるゆるやっていたようでしたが。普通科の生徒でも部活動をしていたのは恐らく半分くらいで、野球部は万年弱小、甲子園常連校の中京高校に15-0でコールド負け、中京に取って何かメリットがあったのか心配になる程でした。私の学年でスターだったのは、新体操の平山素子さん。彼女は筑波大に進学し、今は大学で後進の指導の傍ら、プロのコンテンポラリーダンサーや振付師として世界中で活躍されています。
- 制服について
- 制服はン十年経った今でも変わりませんが(スカートの長さ以外)、これぞ「ザ・NHK中学生日記」という感じで、名古屋あるあるの、セーラーの襟に白いカバーを掛けた上着に黒リボン、下のプリーツスカートの両脇になぜか細くて白い縦ラインが縫い付けられたモノでした。当時でもかなり「もっさい(野暮ったい)」モノで、だからこそ皆上着は短めに、スカートは長めに細工していました。
- 面接について
- 今はどうかは知りませんが、当時の名古屋の公立高校の入試には面接はありませんでした。入試の筆記試験も3教科(国語、英語、数学)のみでした。音楽科は実技やソルフェージュ(曲を聴き取って楽譜にする等)がありました。
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