- 総合評価
- 当時は大阪の公立高校は学区ごとにわかれており、池田高校のある第一学区は入試の難易度順に、北野高校、豊中高校、池田高校と学区第三位でした。その位置づけからか、学力的才能に恵まれてはいるものの反抗期ゆえに内進点が伸び悩んだ勉学的才能の高い同級生や、非常に真面目でこつこつとやるタイプなどが揃っていた印象があります。高校の校風は私の入学前から「自由」な校風で、以前に生徒会主導で制服の着用義務をなくしたような歴史もありました。それゆえか、卒業して思い返して感じるのですが、「自分で考えて決める」事が出来る級友が多々いたように感じます。勉強に関しては、やるときはやるといったイメージで、受験に対してスタートダッシュに遅れをとった同級生も、1年浪人して関西で有名な所謂、関関同立や国公立大学に多くが入学しておりました。
- 先生について
- 勉強でわからないところがあれば気軽に質問に行ける雰囲気のある先生方でした。進路指導の際にも、先生の考えを押し付けるのではなく、「どうしてその進路に行きたいのか?」と質問して、こちらが考えているのかなんとなくなら考えろよというメッセージを頂いた記憶があります。また、目標がでかくても不可能ではないからがんばってみたらいいと励ましていただきました。卒業生も様々な進路に進んでおり、単なる進学だけではなく色々な目標と夢を持った生徒にいい環境だったと思います。
- 校則について
- 特に厳しいイメージはありませんでした。確か、記憶によると生徒手帳がなかったように思います。校則らしい校則はなく、自由な環境でそれゆえに自分を律する必要がありました。また、基本的に根は真面目な級友達でしたので、変に大きな問題を起こすこともなかったです。
- 部活動について
- 日本におけるアメリカンフットボール発祥の地の一つで、高校の中ではアメフトが盛んな高校だったと思います。また、歴史もそれなりにある高校で、全国サッカー大会の第3回目あたりだったかに慶応と対戦して日本一になった事があります。今ではそこまでサッカーの競合でもないですが、部活動も盛んでした。少し変わった部活動として、合気道部などもありました。
- 制服について
- 基本的な制服はあるものの、着用必須ではありませんでした。そのような中、だいたいみんな、男子はズボン、女子はスカートは制服のものを着用し、シャツ等で個性を出していました。ですので、制服のどこが何cmのようなことを先生に言われたり、チェックや抜き打ち検査があるようなこともありませんでした。かばんも自由でした。
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